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ハッサン・ファトヒーとは?経歴と代表建築作品をチェック!

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国立西洋美術館本館などの鉄筋コンクリートのドミノシステムを打ち出した、建築家ル・コルビュジエ氏をはじめ、世界には名だたる建築家がいますよね。

エジプトでも、偉大な建築家がいました。

その人物の名はハッサン・ファトヒー。

何やら、ネット上でも注目されている人物みたい…

果たして、ハッサン・ファトヒー氏とは、どんな建築家なのでしょうか。

そこで本記事で、ハッサン・ファトヒー氏の代表となる建築作品や経歴を調査し、まとめてみました。

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エジプト出身の建築家:ハッサン・ファトヒーとは?

皆さんは、エジプト出身の建築家ハッサン・ファトヒー氏を知っていますか?

なんでも、エジプトで超有名な古代のお墓『ピラミッド』を設計したと言われる、

『イムホテプの再来』

とまで言われ、称賛された建築家です。

そんな凄いカリスマ建築士が、何故、今になってネット上で注目されるようになったのか…

今一度、ハッサン・ファトヒー氏がどんな人物なのか、経歴を振り返ってみましょう。

ハッサン・ファトヒーの経歴

ハッサン・ファトヒー氏は、1900年3月23日、エジプト(アレクサンドリア)出身の建築家。

『地主の子』として生まれ、幼少の頃から頭脳明晰。

キングフアド大学(現カイロ大学)へ進学し、建築・農業を全般に学んできました。

また一方では、芸術にも造詣が深く、詩人・ミュージシャン・発明家として活動する傍ら、大学卒業後、芸術大学の職員としても勤務。

まさに、多彩な顔を持つ建築家として活動を続けていたのです。

さらに、ニュークルナ村推進プロジェクトとして、クルナ村を新しく移転するためのプロジェクトにも携わり、

『避難所や警察署、医療施設、学校』

などのコミュニティ施設の建設を請け負っています。

クルナ村

クルナ村

村全体の建設に携わったほどですから、いかに建築家として、すごい人物なのかわかりますね。

ただ建築家として、すごい実績を上げているだけに留まらず、ハッサン・ファトヒー氏は、建築関連の賞も数多く受賞しています。

1980年:アーガー・ハーン建築委員長賞、ライト・ライプリフッド賞受賞

1984年:UIAゴールドメダル受賞

1989年:国連ハピタット賞受賞

と、権威のある大きな賞を立て続けに受賞しているあたりは、ただ驚くばかり。

ちなみに、これらの賞がどれだけすごいのかというと、

『ノーベル賞や国民栄誉賞にも匹敵するようなすごい賞』

といっても過言ではありません。

それだけ、すごい賞を受賞し、世界が認めた建築として、称賛され続けていたのです。

まぁ村を建築技術で進化させたくらいですから、それだけの賞を受賞していても、おかしな話ではありませんよね。

1989年11月30日、89歳でこの世をさられています。

しかし、今もなおニュークルナ村は、存続し活気に満ち溢れています。

ハッサン・ファトヒーが偉大な理由

元々、昔ながらの伝統を尊重し、日干し煉瓦(アドベ)やウィンドキャッチャーを活用した設計技法に長けていたハッサン・ファトヒー氏。

伝統を重んじるエジプトの人々は、彼のその土地にあった文化・風習を踏襲し、さらに、その土地にある材料を使った建築に魅了されていきます。

そして、気がつけば、エジプトだけでなく世界中が認め、称賛するようになっていったというわけ。

残念ながら、亡くなられていますが、間違いなくエジプトで語り継がれていく偉大な建築家と言えるでしょう。

 

ハッサン・ファトヒーが注目されている理由

はっきりいって、ハッサン・ファトヒーという偉大な建築家が、世界でどれだけ有名だったとしても、日本では、ほとんど目にすることはありませんよね。

名前すら知らなかった日本人は多いはずです。

日本との接点を持たない人物なのに、なぜ今になって注目され始めたのか…

ハッサン・ファトヒーと日本を関連付けるUIAゴールドメダル

その理由は、UIAゴールドメダル受賞に関係しているのではないかと思われます。

もちろん、具体的な理由は説明されていませんし、はっきりしたことは言えません。

ただ、UIAゴールドメダルは、日本人建築家も受賞している賞。

新国立競技場問題で良くも悪くも知名度を上げた、建築家・安藤忠雄氏も受賞しています。

そのため、2020東京オリンピック開催が近づいてきた事も踏まえて、日本でも関心を持たれるようになったのではないかと。

もちろん推測でしかありませが、特に日本との接点が何一つ無いというのに、ネット検索される理由が他に見当たりません。

日本の文化とハッサン・ファトヒーの気質も重なった?

伝統・文化を重んじ、その土地柄にあった設計を心がけてきたハッサン・ファトヒー氏。

そのため、日本の『伝統を重んじる心』と、合い通じるものがあった…

そして、新国立競技場と東京オリンピックや安藤忠雄氏という関連ワードが一つの注目のきっかけとなったのではないでしょうか。

そもそも、世界では認められていた建築家なのです。

日本国内で注目されても、おかしな話ではありませんよね。

ただ、今になって関心を持たれるのは、何か天才画家であるゴッホが、没後にブレイクしたことと似ていますよね。

それだけに、実に不思議なものを感じた次第です。

 

ハッサン・ファトヒーの代表建築作品は?

ハッサン・ファトヒー氏の代表建築作品は、具体的にこれというのが難しいです。

というのも、ニュークルナ推進プロジェクトと称して、避難所や警察署、医療施設、学校などの村のコミュニティ施設を建設したことが殆ど…

世界的に、どこかの施設を単体で建設したというわけでもなく、

『代表作=ニュークルナ村』

というのが正直な印象であるため、いまいちピンとこないんですよね。

ただ、村のシンボル的存在としても使われている

『ミナレット』

というモスクは、代表作というべき建設物と言えるでしょう。

ミナレットは、アラビア語で

『火、光を灯す場所』

という意味を持ったモスク。

外見上、塔のようなシンボルとも言うべき建物です。

エジプトという土地柄に合わせて、日干し煉瓦(アドベ)やウィンドキャッチャーを使い建設。

この技術を用いて建設したことで、建物が長持ちし、万が一壊れても誰かが簡単に修復できるよう配慮が施されています。

つまり、ハッサン・ファトヒー氏が建設したミナレットは、時代を越えて使うことの出来る素晴らしい建物なのです。

ハッサン・ファトヒー氏が建築物に託した想い

ハッサン・ファトヒー氏は、

「戦争や内紛が無くなり、誰もが気軽に絆を深めあえる世の中でいてほしい」

と考えていたそうです。

そして、その想いを後世に託する意味も含め、ニュークルナ村建設プロジェクトに賛同したんだとか…

きっと、建築家であると同時に、心優しき人物だったのですね。

人柄もよく、世界が認めるような功績を挙げている人だからこそ、建築家として認められている…

そんな風に感じた次第です。

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まとめ

世界の名だたる偉大な建築家の一人として認められているハッサン・ファトヒー氏。

彼は、エジプトが生んだ、自然と調和を求める建築家。

その土地の文化や風土に適した材料を用いて、どんなに時代が進んでも、

誰かの手によって修復でき、残せる建築物

を作る建築家。

そのことが、彼の経歴や代表となる建築作品を見て、改めてわかりました。

時代を超えて、今注目されたことに納得できた次第です。

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