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【ペルーの歴史】マチュピチュの意味と滅んだ謎の文明をチェック

ペルーに存在する世界遺産、マチュピチュ。

このマチュピチュは、その姿を

山の麓から確認することができないほど高い位置

に存在していました。

およそ500年前に滅亡してから、400年後の1911年に、アメリカの探検家であるハイラム・ビンガムが発見するまで、ずっと眠っていたのです。

マチュピチュの歴史や謎についても、興味深いものが多く、発見から100年以上経ってからも解明されていく謎がたくさんあります。

今回は、マチュピチュの眠っていた謎や歴史についてお話していきましょう。

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マチュピチュの名前の意味は?謎に包まれた歴史や文明

マチュピチュ

マチュピチュ

"マチュピチュ"という名前、音だけで聞くと、なんだか、かわいい感じしますよね。

この言葉の由来について、知っていますか?

 

マチュピチュの名前の由来については、諸説ありますが、その中でも有力な説を紹介していきましょう。

マチュピチュを発見したハイラム・ビンガムが、マチュピチュのある山の向かいの山から、マチュピチュを眺め、現地住民に、

「あの遺跡の名前はなんだ?」

と尋ねた時、現地住民は、

『目の前にそびえたつ山の名前を尋ねられた』

と勘違いし、

「マチュピチュ(現地の古い言葉で『年老いた峰』という意味)だ」

と回答したことから、今現在までマチュピチュと呼ばれているのです。

あの"マチュピチュ"の名前の由来が、

ちょっとした勘違いから

という点が面白いですよね。

 

そもそもマチュピチュが栄えていた時代には

文字が存在しませんでした。

当時、人々がその場所を

何と呼んでいたかがわからない

というのが、実情です。

 

そのため、残されている数多くの建造物の意味や、何がどこにあるのかも不明です。

一つ一つパズルのピースをつなぎ合わせていくような、謎解きによって解明するしか方法がないのです。

 

そして現在、いくつかの謎のパズルが解き明かされてきています。

そこで、未だマチュピチュに残されている謎と解明された謎について、お話していきましょう。

 

古代都市マチュピチュに残された謎!解明されているものは?

マチュピチュに残されている謎について、を紹介していきましょう。

中には、解明されている謎もあれば、まだまだ謎が深まっていくばかりなこともあります。

マチュピチュが建造された理由

マチュピチュが建造された理由については、いまだに解明されていません。

前述したとおり、当時の文明には文字がないからです。

そのため、たくさんの研究者が仮説を立てています。

仮説1

インカ帝国の敵国であるスペイン人に見つからないようにするため

仮説2

インカ帝国は太陽を神としていたため、なるべく高いところ(神に近いところ)で生活する必要があった

仮説3

インカ帝国の王宮は別にあり、あくまでもマチュピチュは離宮である

以上のように、たくさんの仮説はあるものの、

これだ!

というマチュピチュ建造の理由は明かされていないのです。

マチュピチュの建設方法

マチュピチュの建設方法については、近年やっと謎が解明されました。

マチュピチュの敷地内には、たくさんの大きな石が転がっています。

この石は、

建物を作るときに必要なサイズの石を切り出した後の残り

ということが判明したのです。

マチュピチュ内に運搬器具が発見されなかったのは、

『石を小さくして運べるようにしたから』

という説に落ち着いたのです。

水路の始点が見つかっていない

マチュピチュには、常に流れている水路があります。

世の中の水路や、川には必ず始点があります。

そこから、水が流れ始めるものと決まっています。

なので、マチュピチュの水路にも、始点があることが当たり前と思っていたところ、

水路の始点は未だに見つかっていません。

 

マチュピチュのある地域には、雨季があります。

その時に、

降った雨を地下に溜めておいて、そこから流れてきているのではないか

と言われています。

しかし、それを解明するためには、マチュピチュを解体しなければならないため、いまだに謎のままです。

 

そのほかにも霧がかかった時に、

霧を水にするような技術があるのかもしれない

という説もありますが、もしそうだとしたら、現代よりも優れた技術だといえますね。

マチュピチュが滅んでしまった理由

たくさんの素晴らしい遺跡を残し、姿を消したインカ人たち。

彼らは、一体どうなってしまったのでしょうか。

 

それについての謎も、未だに解明されていません。

しかし、たくさんの仮説が立てられています。

仮説1

流行病がマチュピチュで発生し、多くのインカ人が命を落とした

仮説2

スペイン人に滅ぼされてしまった

仮説3

内戦が起き、マチュピチュを離れざるを得なくなった

『国が滅びる』ということは、それなりの出来事があったということです。

そして、インカ文明には文字がなかったため、素晴らしい技術の多くが失われてしまったのです。

遺跡の多くが壊れることなく残っていた

マチュピチュは滅びてから何百年も経過しています。

しかし、その遺跡のほとんどが壊れていないのです。

それが何故かといえば、

マチュピチュの下からは見るつけることができないため、誰にも荒らされなかった

と言われています。

マチュピチュへ、たどり着くためには、

谷を越え崖を伝っていかなければならない

など、困難な道が続きます。

 

マチュピチュの山の下には、川があり、その川を使って生活している人々もいましたが、そこから見上げてもマチュピチュは見えませんでした。

植物が生い茂った状態で発見されたマチュピチュでしたが、上記の状況から建造物は、人の手によって壊されていることはなかったのです。

まだ隠された部屋や通路がある

前述したとおり、マチュピチュは、建造物がほとんど壊れていません。

そのため、

『まだいくつも確認できていない部屋や通路がある』

といわれています。

そして、現代の技術によって、まだまだ隠されている財宝や部屋があることがわかってきています。

謎が多いマチュピチュですが、さらにその謎が増えるとなると、ロマンは増していきますよね。

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まとめ

マチュピチュには、たくさんの謎とロマンが眠っています。

建造された理由はもちろん、詳しい建設方法、水路の始点もわかっていないなど、発見から何年経っても、マチュピチュには、たくさんの謎が残されています。

文字がないので、マチュピチュの存在意義すら判明していないのは、とても不思議な話です。

現代の科学技術をもってしても、まだまだ解明できない謎が多いことから、当時のインカ人が

いかに優れた技術力を持っていたのか

ということがわかります。

これから、さらに科学が発展し、もっともっとマチュピチュの謎が解明されていくのが楽しみですね。

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